教師のための読書の技術

教師のための読書の技術―思考量を増やす読み方』を読んだ。様々な文章をネタに、香西先生お得意のレトリックが炸裂していて面白い。タイトルの「思考量を増やす読み方」とは、

  • 読んだことを積極的に模倣し、転用する
  • 書いてあることに対して反論する

ことである。

以下、引用。

もしわれわれが豊富な言葉のストックをもたなければ、われわれは豊富な思考をもつことものできない。(中略) 例えば、自分の不快な感情を表現するのに「むかつく」という言葉しかもっていない子供は、複雑な感情を単純な言葉でしか表現できないのではない。「むかつく」という感情しかもてないのである。複雑で微妙な表現のできない人間に、複雑で微妙な思考も感情もありもしない。

本を読むことは、退屈な、苦しい作業である。だが、本を読むことでしか得られない知識や、読書を通してでしか鍛えられない知力があるから、われわれは無理をしても本を読まなければならないのである。特に、読書の場合は、若いうちに大量の本を読んで読書力をつけておかないと、将来本を有効に利用できない恐れがある。これがテレビのような受動的なメディアとの最大の違いである。

反論のための例題

反論の練習として以下の例題を取り上げておく。

電車内で、携帯電話の使用を遠慮していただきたい旨のアナウンスをよく耳にする。電話をかける声が大きくて他の乗客に迷惑になるということらしいが、これはおかしい。電話をかけなくても、大きな声で話している乗客はいる。では、彼らの会話はなぜ禁止されないのか。他の乗客に迷惑だという理由で携帯電話での会話を禁止するなら、同じ大きさでの普通の会話も禁止しなければ筋が通らない。逆に、そのような会話を禁止しないなら、携帯電話での会話も禁止すべきではない。

本文には解答が書かれていないので、自分なりに反論してみた。かなり脆弱だが。

この主張を抽象化すると『「大きな声で話をする」という本質的範疇に属するものは同じ待遇を受けるべき』というもの。これを「類似からの議論」という。類似からの議論に反論するには、二項間の差異を指摘すればよいので、「普通の会話は文脈が汲み取れるため、聞いている方は一種の愉しみとして受け取ることができる。一方、携帯電話での会話は話の内容がわからないので、聞いている方は愉しくない。よって普通の会話まで禁止すべきではない」と反論できる。